江戸・向島界隈
  
  
江戸の頃。 当時政治経済の中心地として活発に成長を続け、町人地・武家地・寺社地が混在していた 神田・日本橋・浅草 などからは少し離れ、隅田川を挟んだ対岸に位置していた向島の地は、 近郊農村として米作中心に蔬菜類(そさいるい)も栽培されていた、「のどかな田園地帯」であったようです。
  
よく 向島は江戸文化発祥の地ともいわれ、歌舞伎・文学・浮世絵・落語など文化・芸能の主要舞台としてたびたび登場してまいります。しかし、神田・深川などに代表される 粋でいなせでエネルギッシュなものとは少々異なり 向島の地に根ざした江戸の粋は あるがままの風流・風情を楽しむこと、であったのかもしれません。 
 
ゆったりとした田園風景の中に 小粋な料亭や 大店の別荘などが点在し 隅田川沿いには 『夕立ち』の三囲神社 さらに北へ歩を進めれば 百花園 白鬚神社 そして『梅若』の木母寺と 多くの文人墨客が集い 散策し 草花を愛で 詩歌を興じ 日頃の疲れをいやす保養地であったようです。現代で言うところの『ヒーリングスポット』として独特の発展を続けた遂げた地であったのでしょう。


1774年(安永3年)に吾妻橋が架けられ、両国橋・新大橋・永代橋とともに「大川四大橋」と呼ばれておりました。 当時の人々は、橋を渡るほかには 「橋場の渡し」「今戸の渡し」「竹屋の渡し」「山の宿の渡し」といった渡し舟を利用して向島へ憩いを求めて通ってきたのではないのでしょうか。
 
こちら 『江戸・向島界隈』 では 江戸の頃が偲ばれるエピソードや 現在の向島界隈の様子を お知らせしていきたいと思います。
 
 
向島百花園 梅まつり
百花園
三囲神社
梅若丸伝説